みにくいアヒルの子

この話には、発達障害の人たちを支援するさいの貴重な教訓が含まれていると思います。

アスペルガー症候群の人たちの「融通が利かない」という特性や、ADHDの人たちの「衝動的」という特性などは、おとなになっても完全にはなくなりません。

しかし、そのような特性が成人期に「信念を持って真面目に頑張る」「失敗を恐れず機動力がある」などのように、周囲からむしろよい個性として認められるようになる人もたくさんいます。

子どものときに他の多くの子どもたちと違うところがあると、

「なんとかおとなになるまでには普通の人になってほしい」と考えがちです。

しかし、将来そのお子さんは普通の人にはない個性を持った人に成長していく、その萌芽がいま見えているのかもしれません。目の前にいる子どもたちの個性をつぶすのではなく、むしろよい個性として認められるように育てていくという発想が大事なのではないでしょうか。

「みにくいアヒルの子」というアンデルセン童話をご存じの方は多いと思います。

 

たくさんのアヒルのヒナの中に1羽だけ姿恰好の違うヒナがいて、いじめられたり悩んだりしながら育つのですが、おとなになってみると結局アヒルではなくハクチョウだったというお話です。

 

発達障害の人たちは一般の人たちよりも劣るのではなく、少数派であることによるハンディキャップがあると考えてよいと思います。社会の仕組みはどうしても多数派の人たちを中心に形成されてしまうため、少数派の人たちは社会的ハンディキャップを背負いやすくなります。

そのときに、個性を否定し、多数派に合わせることだけを考えるべきではないでしょう。

むしろ、少数派の人たちでも生活しやすくなるように環境の調整を試みることも重要です。

近視の人たちが眼鏡をかけることによって当たり前に社会参加できるように、発達障害の人たちも適切な支援によって当たり前に参加できるようにする、それが支援の目標です。

そのことは、「育ち方」のパターンにも当てはまるのかもしれません。

発達障害と診断された子どもたちが、その特性をよい個性として認められるようなおとなに成長するための道筋は、通常の発達の道筋とは異なるのかもしれません。発達障害の人たちの将来を展望しながら特有の発達の道筋を見きわめ、着実に保障していく、そのような支援のあり方を考えていく必要があるのだと思います。